bestronggg’s diary

視神経脊髄炎と闘病中の一児のママです。

産後の地獄の状態と再発

 

産後は両親が遠方であったことや、コロナが流行し始めたため周囲の援助を受けることができませんでした。

 

3時間おきのミルクと新生児の世話は産後の私には辛すぎて、何度もめげそうになりました。

夫と協力していましたが毎日休まらない日々でとにかくしんどかったです。

 

出産10日後に再発してしまいました。

今回はまた背中の感覚異常。

 

赤ちゃんの世話があったので、入院することはできず通院して外来でパルス療法。

 

2日目が終わり、ミルクをあげていると涙が止まらなくなりました。夜中の授乳中に声を上げてわんわん泣きました。

 

また、消えてしまいたい。いなくなりたい。と強く思うようになりました。

具体的にどうやればいいのか、確実に死ぬことができるのか等を考える日々。

 

娘の授乳を終えたら頸動脈を切ろう、お風呂でやろうかベランダでやろうか等を悶々と考えていました。

 

すぐに臨時で精神科を受診し薬を増量しました。

抗うつ薬デパケンが処方になりました。

 

睡眠バランスも崩れ、精神的に限界を感じました。

 

そのため、実家へ1か月ほど帰省することにしました。

 

帰省し少し気分はマシになりましたが産後の体系の変化に加え、ムーンフェイスがひどかったので余計抑うつ状態が悪化しました。

 

自分がいなくなれば娘はもっと良い母親と過ごせるのではないか、

何より自分は夫にとって大きなお荷物だから消えてしまいたい。

 

そんな気持ちが渦巻いたまま産後5か月くらい経過。

 

そこからは少し気分もマシになりましたがステロイド内服は継続していたのでムーンフェイスは気になっていました。

 

手で頑張ってマッサージはしていましたがなかなか力が入らないので苦戦していました。

そんな時、夫にリファを購入してもらいました!

 

 

握力が弱い私でもしっかりとマッサージが出来たので、2か月ほどで効果が目に見えて現れてきました。

 

私が買ったのはこちらのリファです!

 

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それに加え、軽い運動を自宅でするようになりました。

運動をすると気分も軽くなりました。

 

元々運動が好きでしたが、妊娠中にできなかったので杖なしで久々に100mを連続で歩けたときは嬉しくて泣きました。笑

 

産後涙腺がかなり脆くなりました。。

 

リハビリを繰り返し、かなり体力は回復しましたが昔のようにお出かけは難しかったです。

 

子供を連れてのお出かけって凄くハードルが高くて、夫は日本で運転することができないので私がしなければいけません。

お出かけが苦痛でした。

 

一番子供がかわいい0歳児の時に子育てを楽しめなかったことが悔やまれます。

 

 

妊娠発覚と再発

 

 

私たち夫婦は、不妊治療の末に子供を授かりました。

 

妊娠したとわかった時、涙が溢れてとても嬉しかったことを覚えています。

 

しかし、妊娠発覚してから1週間後に左脚が動かなくなりました。

そして、おしっこしたいという感覚が分かりにくくなりました。

 

 

すぐに受診しました。

 

妊娠中なので、パルス療法は出来ず。

血漿交換療法をすることに。

 

血漿交換療法は入院しながら行う治療なので、すぐに入院手続きをしましたがベットが満床だったので数日待って欲しいと言われたのです。

 

内服のステロイドは20mgで開始となりました。

 

 

しかし、入院日まで症状は悪化してしまい、杖がなければ歩行できなくなりました。

 

つわりは酷いし歩けないしで、最悪の妊娠生活だったなと振り返って思います。

 

 

入院後はすぐに血漿交換療法が開始となりました。

ポートを作るかと思ったのですが作らず、血管から血を出して新しい血漿を注入します。

針はおそらく18Gほどの太い針を腕の血管に毎回2箇所刺されました。

 

ペンレスという麻酔のシールを2時間ほど前に貼るのですが、シールを貼っていなかった場所に針を刺された時は痛みで泣きそうになりました。。

 

 

数回治療をすると、排尿障害や感覚異常は改善しました。

 

しかし、脚は変わらず上手く動かせず。

 

 

今回ひどかったのはステロイドの副作用とマタニティブルーが重なり、精神状態が最悪でした。

 

 

涙が勝手に溢れてくる、自分が無価値に思えてくる。。

 

 

同室の人たちのいびきや咳がうるさく夜は眠れなかったです。

 

 

 

 

看護師さんに泣きながら退院したいと話しました。

 

医師と相談し,治療が終わり次第すぐに退院することになりました。

 

精神状態も悪いので,ステロイドは5mg減らして15mgに。

 

退院する頃は筋力がかなり低下していたので、ふらふらでした。

 

 

勤務していた仕事は、3ヶ月ほど傷病休暇となりました。

その後は部署を変え、事務職で勤務しました。

 

会社が気を利かせてくれたのでとてもありがたかったです。

 

 

時折妊娠している幸福感を感じましたが、どんどん大きくなるお腹と眠れない日々に疲れ切っていました。

 

出産は普通分娩は出来ないかもしれないと主治医に言われました。

 

排尿・排便障害が出ていたため、上手く踏ん張ることができませんでした。

 

婦人科医と話し合い、帝王切開で産む予定になりました。

 

また、普通の脊髄麻酔をすると副作用が出た場合に再発かどうかの区別がつかなくなるので、

全身麻酔での出産となりました。

 

 

 

生まれてくれた時は、痛みと嬉しさで泣きました。

 

 

 

 

新しい医師探しと免疫抑制剤内服開始

 

 

 

 

さすがにあなたの治療方法に賛同できないので病院を変えますとは言えず。笑

 

引っ越しをするため、近いところへ通院したいと主治医へ伝え、紹介状を書いてもらいました。

 

 

ネットで良いと言われる医師を探し、受診しました。

 

結果的にはとても良い医師で、知識も豊富でした。

 

免疫抑制剤の話をすると、すぐに処方してくれました。

 

ステロイドをやめたことで精神的にも落ち着き、仕事も継続できるようになりました。

 

 

 

 

内服薬ですが、初発のときに傷付いた神経は修復しきっておらず、痛みが残ったのでリリカの処方とステロイドの影響で胃痛がひどかったのでしばらくネキシウムを出してもらいました。

 

この後私は約一年半再発せずに過ごすことができました。

 

 

しかし、私が妊娠を希望した時から状況は変化して行きます。。

 

 

再発2回目と悪化する精神症状

 

 

2回目の再発は、やはり夏。

 

 

仕事で疲労が溜まっていたせいもあった。

 

暑くなると、視神経脊髄炎の人たちはウートフ兆候というものが出てしまい、病気が悪化する。

 

また背中の感覚がおかしくなり、眩しさも増した。

 

今回もステロイドパルス1クールをしました。

 

そして、早めに受診したので今回も後遺症はなし。

 

しかし、今回は精神状態の悪化がひどかったです。

 

病院の帰りに、死にたい気持ちが止まらなくなり電車に飛び込みたかった。

 

家でも涙が止まらず、どうしたら消えることが出来るのかをずっと考えていました。

 

 

3日目のステロイドが終わり、翌週受診。

 

医師に泣きながら、もうパルスをやめたい。

死にたい気持ちが止まらないですと懇願した。

 

 

ここで、抗不安薬メイラックスを処方されました。

 

しかし、ふらつきが酷く1日で内服を辞めました。

 

また、医師からはこれから再発防止のために継続してステロイドを内服しなければいけないことを伝えられました。

 

絶望的でした。

 

 

飲みたくない。

 

 

そう思って、私は処方されたステロイドを徐々に減量して中断して行きました。

 

 

治療法について調べると、免疫抑制剤などが使えると書いていたので医師に伝えると、その薬は処方していないと言われました。

 

私はここで病院を変える決意をしました。

 

〜続く〜

 

 

再発1回目と恐怖の副作用の出現

 

 

退院し、暑い日が続いた夏のある日。

 

お風呂で体を洗っていたら背中の感覚がおかしいことに気づきました。

痒い所を掻いても一向に治らない。

湿布を一枚貼った上から背中を触っているような感覚でした。

 

夜になると、おしっこが30分おきにしたくなってしまい、

排尿障害も出現していました。

 

翌日に受診しすぐにMRI検査をしたところ、

腰椎のところに炎症があると言われました。

 

外来でパルス療法をし、帰宅しました。

 

3日間行うので、連続での通院となりました。

 

パルス療法をし、帰宅しましたが疲れているのに眠れない。

 

夜も目がらんらんとしている感じがあり、一睡もできないまま翌日となりました。

 

ステロイドの副作用として、疲れやすい症状が挙げられます。

 

私の場合は、本当にだるくて何もしたくない感じでした。

 

医師に眠れなかったことを相談すると、睡眠薬を処方してくれました。

 

病院にもよりますが、脳神経内科でも睡眠薬を処方してくれる病院があります。

 

 

パルス療法1クールが終了し、段々と顔が丸くなってきた感覚がありました。

 

元々丸顔なので、副作用のムーンフェイスは怖かったのですが、いざ出現すると

本当に悲しかったです。

 

また、気分の起伏も激しくなり、急に悲しくなったり彼氏に八当たりしたり等

精神面での副作用もありました。

 

ムーンフェイスを改善するために、まずはマッサージを毎日しました。

しかし、発症時に手の握力も低下してしまっていたため、強くマッサージができませんでした。

 

そこで、少し奮発してリファを購入して寝る前にコツコツマッサージをしました。

 

以前よりも顔のお肉が落ち、私の顔面もだいぶマシになりました。笑

 

 

私が使用したリファはこちらから購入可能です!

 

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再発してから早期に治療を受けることができたので、後遺症もなく寛解できました。

 

 

視神経脊髄炎と診断がつくまで③

 

 

いよいよ病状説明。

 

私の場合、多発性硬化症の人たちの髄液の中から発見される抗アクアポリン4抗体という異常なタンパク質が陰性で、代わりにmog抗体というのが通常の人の数十倍あったそうです。

 

なので、多発性硬化症ではなく、非常に似た症状を発症する視神経脊髄炎という病気だと言われました。

 

頭の中がぐちゃぐちゃでしたが、とりあえずおかしなタンパク質が自分の中に入っているということがわかりました。

 

そのタンパク質たちが自分の免疫を敵だと思って攻撃してしまい、脊髄や脳にダメージを与えるので痺れや感覚異常、私の場合は排尿障害もありました。

 

また、発症した頃からいつもより視界が眩しいと思っていました。

 

眩しさを感じる患者さんは多く、ひどい人は失明してしまう人もいます。

 

私は少し眩しいと思うぐらいで、視野検査やフリッカー検査も問題なしでした。

 

 

こうやって、病名告知から病状説明を受けましたが、医師の説明だけでは不明なことも多く、自分でもたくさん調べました。

 

稀な病気なので情報も少ないのでとても不安でした。

 

この記事が誰かの役に立てば良いなと思っております。

 

視神経脊髄炎と診断がつくまで。終わり〜

 

 

視神経脊髄炎と診断がつくまで②

 

 

大学病院を受診後は再びMRI検査の連続でした。

 

脊髄に2個以上のT2病変があるというのが診断基準に含まれるのですが、私は3個あったと医師が説明してくれました。

 

MRIの画像を見ると、確かに白い部分が多い。。

 

あー自分は病気なんだ、患者なんだと痛感して帰り道に涙を流した記憶があります。

 

その後は詳しく検査する事とパルス療法のため1週間入院。

 

パルス療法とは、1000mgのステロイド剤を一日一回点滴し、それを3日繰り返す治療です。

 

痺れや感覚異常は格段に改善しました。

 

まだ2クールしかしていなかったので副作用もひどくなく、少し腰痛がひどくなったかな?腰がギシギシするな?くらいの感覚でした。

 

1番辛かった検査は髄液検査です。

 

腰の位置から髄液を取り出すのですが、終わった後の頭痛がひどく、1週間トイレと食事の時以外起き上がれませんでした。

 

検査後はたくさん水を飲む事で頭痛緩和になるそうなのですが、じっとしてるだけなので水もあまり飲む気にならず。。

 

ですが、1週間経ったら頭痛は嘘のように治りました。

 

髄液が安定したんだなぁと思います。

 

検査が一通り終わると、病状説明をされます。

 

そこで、私は厄介な病気である事を知らされます。